
私は学生時代のカオスから抜け出し、実家の家族を押し切ってバルセロナに来て、45 年の歳月が流れた。建築家への憧れと夢を求めて、現在に至っている。しかし、ガウディ建築の実測に携わるとは、夢にも思わなかったのである。ガウディ建築の実物を見た時、酷いカルチャーショックを受けた。このような難しい建築家の世界なら、志を諦めようと思ったほどであった。ガウディの作品は、建築なのかそれとも彫刻なのか、または芸術作品なのか、その区別ができなかった。そこで初めて「自分の無知」を自覚させられた。独学が始まる瞬間であった。
日本で3年間、建築事務所で実施設計の経験をしたが、その仕事には興味が湧かなく、ガウディ建築のことが頭から離れなかった。そこで会社を退職し、バルセロナのガウディ建築を本格的に勉強しようと思った。しかし、語学ができないのでは生活もできないし、研究すらもできない。一方で、「日本の国のこともよく知らない自分が海外とは何事か」と自問自答していた。折角、辞職して自由の身になったのだから、自分の足で日本を見ることにした。南は沖縄から北は稚内まで、自転車で全行程50日間6000km の一人旅であった。この小さな冒険は、私に信じられない勇気と自信を持たせてくれた。このことが、今日までのガウディ建築の実測・作図、そして原書の全訳読破ができる機動力を育ませてくれた。実は、これが芸術、作図、勉強がカオスとなっていた自分を、見直すための独学への道の始まりとなった。そして、ガウディ建築と向き合うことになった。今では自らの言葉で、ようやく仲間たちにも「ガウディ建築とは」と楽しさを伝えることができるようになった。
カサ・バトリョは、ガウディの代表的な成熟期の華やかな作品である。その過多な装飾にも見える演出で、見事な地中海文化を表現している最初の作品である。この作品には60項目以上のガウディコードがあることもわかってきた。特に、地中海文化でもある神話と聖書が、この宇宙との関係を建築の中で演出している。ガウディ芸術では、誰も知ることがなかったコードである。このカサ・バトリョでは、壁面には星座が描かれていることを発見したのである。それは、これまでのガウディの世界では誰も触れたことがなかったことであった。それを知った自分に驚いた。ガウディの唱える芸術とは、生活に密着したものであり、誰しもが必要不可欠に利用しているものであることを自覚させられた。ガウディの場合、作品を通し、このようなことを教えてくれている。